たとえば日本家屋にみられる縁側という場所について考えてみる。そこは、内と外を繋ぐ間の場。
大きく張り出した軒の下に広がる空間は家の一部、つまり屋内ともとれる一方で、外側から隔てられているわけではない。プライベートな時間を過ごす場にもなれば、社交の場にもなる、中間的空間だ。
建造物に限らず、日本には中間とよべる曖昧さをもったものが多く存在する。白か黒かを決断することよりも、なにかとなにかのあわいにあるものをそのまま受け入れる姿勢が備わっている民族性のようだ。
芸術家の李禹煥は『描いた部分と描かない部分、作るものと作らないもの、内部と外部が、刺激的な関係性で作用し合い響き渡る時、その空間に詩か批評そして超越性を感じることが出来る。芸術作品における余白とは、自己と他者との出会いによって開く出来事の空間を指すのである。』と述べている。洋服や建造物は芸術作品ではないが、その考え方を洋服のデザインにも用いることで、ものともののあわい、人ともののあわい、あるいは人と人のあわいに存在する“なにか”について気づくきっかけをもたらしたいと願う。