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着用者が袖を通すことで初めて個性を表出させるような余白のある服。
日本古来の美意識である“不均衡(不完全)”の美しさを追求する服。

 

それが、ULTERIORの目指す姿である。
余白とは単に情報量の少なさやシンプルな中にある隙間のことではない。余白とはつまり、そこにある洋服とそれを着る人の間に起きる相互作用のようなものである。

人は洋服を手に取るとき、おそらく直感的な良し悪しや、長く着れるものか否か、といった品定めをするはずである。そしてそれが自身の琴線に触れ、肌に合ったときにはいざ、その洋服を自分のクローゼットへ迎える。次に人は、どんなものと合わせようか、どんな時に、どんな雰囲気で、誰といる時に着るべきかを考える。その答えは自分の外側に探しても見つからないもので、自分の内にしか答えはないし、そしてその答えは幾千、幾万にもおよぶものである。

答えは一つではない。

 

答えを外に求める時代が長く続き、誰かがこう着ているから自分もそうするべきだ、この色が人気だから自分もこの色を手に入れておくべきだなどと、自分ではない誰かの声に必死で耳を傾けるうちに、自分の本当の声を聞くことを、答えを探す方法を、見失ってしまったのではないか。

 

ULTERIORの服は、それを着る人に一瞬の迷いを与える。それは考えさせる服、余白を残した服である。服が、着る人に考える余地を与える限り、着る人も考えることをやめない。相互に影響を与え合い、ハレーションが起こり、互いをより知ることができ、そして自分自身を知ることになる。その関係のあいだに存在するものこそ余白である。