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古き良きということばの響きの美しさは、かつてあった時代やものごとを情緒的なまなざしで見つめる姿勢を連想させるからだろうか、独特の柔らかなムードや中立性を感じさせる。その一方で、そういった懐古主義的まなざしは、古いものがそのまま残っていればよかったかのような、変化に対する拒絶を含んでいるようにも感じられる。

 

またひとつ、わたしたちにとって大切な作り手がその長い歴史の幕を閉じた。このときも古き良きという言葉の弊害と、存在し続けることの大切さを思った。

 

 

 

 

今となっては貴重になった古い機械を今でも稼働させること、それによって生まれる糸や生地。全ては新しく作り直したり効率を優先させる思考の中では決して実現できないことに違いない。


変わらないこと、進化しないこと。古き良きものをそのまま残すこと。それは、既視のものや慣れ親しんだものがずっと存在しているという一定の安心感を与えてくれる一方で、変わらないことの退屈さや不便も持ち合わせている。

そうならないためには、古さの中にある素晴らしさや非効率の中にある良さだけを丁寧に抽出して、その周縁にあるあらゆることを一つひとつ見つめ直し、進化し変化するということを恐れない姿勢や探究心が不可欠だろう。現状維持はもはや退化であると考えること。

 

 

 

 

かつて存在していたもの、それが作られた場所、必要としていた技術。そしてそれを提供していた場所。そんなすべてが失われてしまったとき、人々はそれに心を痛め、残念に思い、悲しみに包まれることもあるかもしれない。しかしそんな一過性の感情とは裏腹に、人は時間の経過とともに、かつてそれが存在していたことを忘れていく。忘れ去られた後も、世の中は、生活は変わらず動き続ける。

 

だからこそ、存在し続けるということ自体が、何にも代え難く重要なことなのかもしれない。